Steel Wheels

Point of no return

昔乗っていたバイクのこと #2

さて、1人暮らしを始めます。CBを足にしようと思ってたのですが、手放してしまったので公共交通機関のお世話になりました。

一度バイクでの移動が身についた者にとって満員電車は苦痛以外なにも感じません。

身を削るのがいいか懐を涼しくするのがいいか。

懐を空っぽにしました

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RZ125

YPVS付きでフロント16インチの最終型。なんで125なのかというとSPレース出場を考えていたから。買ってすぐコース走行に必要な手当を施し軽トラに相乗りして筑波へ通いました。何もかもノーマルの状態で予選通過まであとコンマ5秒。タイヤをTT300GPに替えて予選通過の目安になるタイムが出ました。そしてエントリー。SP250ほどじゃないですが、125も予選通過倍率は3倍くらいでしたね。チョロいんじゃね?と思ってましたが、毎回なんらかのトラブルが起きました。やっと予選通過したレースは多重クラッシュ回避のためダート走行し最後尾でツーリングして終わりました。こうしてひとりぼっちバイト代全部レーシングは2年で全く結果を残せずRZは本来の購入意図だった街乗りバイクへ戻りました。

そして友人に貸した時に転倒しフレームまで逝ってしまい廃車に。あっけなかったですね。友人が大きな怪我をしなかったことは幸いでした

いいバイクだったんですよ。東京〜京都の下道弾丸ツーリングなんかもやりましたね

 

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GPz400F

国内最終型です。もうGPzというとzは大文字になって水冷の時代でした。いわゆるレーサーレプリカと呼ばれるモデルが主流になってる時にこれを新車で買いました。「意外と速いよ」というのが買う前に人から聞いていた評価。買って乗ってみると「十分速いじゃん」が自分の評価。開けるとわかるんですが2バルブの量産エンジンとしては相当攻めているエンジンなんですよね。ポートの角度や面積、大きなリセスが必要なピストンヘッドなど。

あらゆるところを走り大学を卒業する頃オドメーターはリセットされました。

都道府県のうちこれで走らなかったのは沖縄だけですね。サーキットもモトクロスコースも走りました。

途中タカトリのキットで520にしたり、足回りに手を入れたり。

バイク屋さんの工場長がオドメーターをみるたびに「もういい加減に次の買えよ」と呆れるくらいでした。

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GPz750R

GPz400Fをボアアップして後ろめたかったので限定解除しました。別件で2週間くらいエンジン下ろしている時「これ乗っとけ」と代車で出てきたのが750ニンジャ。ただしエンジンは900。○改入りの車検証が眩しいやつでした(そうか?)。で、400Fが治っても「置くとこないから持って帰れ」と言われて750Rの名義を自分にされてしまいました。正直にいうと学生の身分で車検付き2台持ちは楽ではなかったです

 

学生の身分で車検付きバイク2台持ちはキツイ

2台でキツイなら3台でもキツイ。ただしそのキツさは1.5倍ではない。と無茶苦茶な理屈で入手したのが

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Z1000J2

欧州仕様でした。正確には南アフリカ仕様だったのかな。件のバイク屋さんはそのルートで逆輸入車をいれていました。そこそこの販売台数をあげるお店だったのですが、人気車のバーターで入ってくる微妙な扱いのモデルの在庫を抱えて社長はいつも愚痴ってましたね。その不良在庫の一台。もうしばらく後のローソンレプリカがブームになった頃にやっと全部はけたそうです

ニンジャとJ。世代的にはニンジャの方が新しく何もかも良くできているのですが自分にはJの方が合ってました。400Fの延長というか同一線上にあると感じたからでしょうか。ということでニンジャは手放しGPz400FのサブとしてJに乗るようになりました。

 

でかい方が中型のサブ? そう、そのくらいGPz400Fはお気に入りでした

 

以上が大学生時代に乗っていたバイク。あと「のさせてもらった」GSX-R400やRG250Γ、TZR250もありますがそれはまた別記事で